このウェブサイトでは、ヴァンダ・プランツニツカの著書、「霊に依る憑依〜 21 世紀の除霊」からの引用文が見つかります。
普通に生活している人間が突然二時間やそこらで、自分が誰かも、何を言っているか、何をやっているかも判らなくなり、幻覚や幻聴に悩まされ始める事があります。こう云う人達は何者かに触られたり、何かを強制されている様に感じたり、何らかの衝動に駆られたりする様に感じます。何処でついたか判らない様な引っ掻き傷や切り傷に気付く事もあります。鋭い物が無いと云うのに痛みを感じ、傷口から血が出ているのに気付く事もあります。これ迄活動的、社交的且つ陽気だった人が引きこもりになり、連絡しても応えず、自殺願望を抱く様になる事もあります。それかその逆で、大人しい人が攻撃的又は破壊的になり、時には人を殺そうかと云う事もあります。そして今迄愛していた人達に憎しみのこもった目を向けます。今迄洗練されていた人物が突然粗暴になって、電車、店頭、教会や路上を問わず理由も無く人を罵倒し始める事もあります。
そう云う人達は至る所から何らかの匂いを嗅ぎます。それは香しい物から汚臭迄、全てです。その反対に、その人がどんなにお風呂に入ってもその人から漂う悪臭に周りの人が気付く事もあります。
勿論、以上全部の症状が一個人に同時には現れません(しかし、そう云う事も起こり得ます)。こう云う現象は、周りの人達には明らかなのですが、災いを被っている人には殆ど感じられません。そして又、その反対もあり得ます。その人にとってこう云った症状は不快で普通に行動して行く上でも障害になり、日常生活で普通に機能して行く事も止めてしまいますが、周りは誰も気付きません。他人がいる所で、その人は誰も感知出来無い物を非常にハッキリと見たり聞いたりしますが、そう云うサインはその人にとって圧倒的な鮮烈さを持って現れます。医者はこの様な行動又は、状態を統合失調症の表れか、他の精神病と判別します。世界中でこう云う人達は、狂人であると思われています。こう云う症状が進行したり、社会にとってその人が脅威になったりすると精神病院に隔離されます。これらの症状と未だお話ししていない多くの症状は、人の中に幽霊がいる明確なサインです。
総ての精神疾患は、以上で述べた症状に似たものを呈します。相似性が在る事で私は原因も同じなのではないかと云う事に思い当たりました。今迄扱ってきた数々の精神疾患のケースに於いて、自分のこの心証が当たっていた事を私は確信しました。私は数千に上るこの様な症例を収集しましたが、全部夫々似た様なケースばかりです。私の長年の経験は、総ての精神疾患は病気に苦しむ人が憑依を許してしまうだけで無く、幽霊の意思に屈して肉体と精神の全てを差し出してしまう時に発生する事を私に教えてくれました。
勿論、全てのケースが同じであると云う訳ではありません。幾つかのケースに於いて、ある人は暫くの間は自分自身でいて、そして全く違う人格になったかと思うと又、自分に戻ると云う事が起きます。自分が「他の誰か」である事をその人は気付きませんし、実際思い出しもしません。人間の記憶は、コンピューターの活動に準える事が出来ます。病人の中に幽霊が現れる時、情報はその病人のではなく、幽霊のディスクに書き込まれます。それはその病人が、自分になる事を休んでいるとも言えます。そして休んでいる間、幽霊が体と心に指令を出す権利を握ります。其処からその病人の記憶喪失が生じます。
それから別の場合では、病人が絶えず他人の人格を呈して滅多に自分自身に戻らない事もあります。多くの異なった幽霊に体も心も差し出してしまうと、こう云う事が起きます。極端なケースになると宿主の霊が幽霊に追い出されて、肉体の外で存在する事を強要されます。こう云うケーは、全く珍しくもありません。それはその人の憑依の状態に左右されます。数百もの幽霊が一個人の中にいる事もあります。聖書に於いてこう云う幽霊は、『レギオン』と呼ばれています(ルカ 8:30)。
多重人格をもっと分かり易く説明する為に、私は肉体を海に浮かぶ船に喩えてお話ししましょう。精神が健康な人は、船の船長です。降りかかる危険を避けながら船長は完璧に舵を取ります。神の守護の中にあるので、嵐に逢おうとも船長は自信を持って舵を切ります。その船長は、航路を熟知しているので船が何処を航行しているか常に把握しています。
しかし、異なるタイプの船長もいます。そのタイプの船長は大抵、怖がって船を当ても無く漂流させ、船橋に立って舵を取るなんぞ滅多にしません。そう云う船長は、密航者を乗せてしまい、好き勝手をさせます。統合失調症に苦しむ人は、船橋に船長がいない幽霊乗客を乗せた丁度このタイプの船の様なものです。船の持ち主である船長は、航海の間船上にいる事は出来ますが、乗客又は、幽霊がハンドルに近づけさせてくれません。或る乗客がハンドルを握ると船長の存在を無視して、自分の行きたい方向に舵を切ります。時たま、誰も舵を操作していないのにハンドルを取らない船長もいます。極端な場合、船長は下船させられます(言い換えると自分の肉体から締め出されます)。船橋が空っぽなのを見た幽霊乗客は好き勝手に船を操りますが、暫くするとこの輩も様々な理由でこの娯楽を投げ出さなければいけなくなります。船長は船長でデッキにいる密航者を捕まえ様としません。皆が船は自分の物だと信じているので、その通りに行動します。時々乗客全部が舵を取りたくて、乗客の間で主導権争いが起こります。こう云う時に、持ち主の肉体船上で精神病の攻撃が悪化します。
舵を取る志願者が、乗客の中にいなければ、最終的に船長自らが意を決して船橋に立ちます。すると私達は、病人の記憶が少しの間戻って来ているのに気付きます。その人は自意識も戻って退院して行きます。しかし、その人が健康になった訳ではありません。幽霊は未だ中にいて、休暇中なだけなのです。
その様な人が自分に起こっている問題の理由を知れば、その人は必ず闘うでしょう。しかし自分が置かれている状況に及ぼす力は少しも自分には無いと思って、その人は何もしません。時々、自分は本当に狂ってしまったのでは無いかとその人には思えるでしょう。その人は大きな恐怖の中にいます。しかし、こう云う時が今迄病気であったその人にとって、船長として舵のハンドルの前に立つ決心をする絶好の機会なのです。しかし誰かがその事を評価し、病人が目の前のものを絶好の機会と認識する迄繰り返し言ってあげなければいけません。そうすれば病人は自分の人生の操作権を取り戻すでしょう。
精神病の主要な原因は、余りに多数か強すぎる幽霊に取り憑かれる事ではなくて、病人が自分に何が起こっているのかも判らず、怖がり過ぎて闘いもせずに諦めてしまう事なのです。私は何百と云う幽霊に憑かれているのにも拘らず普通に生活している人のケースを知っています。しかし一体の幽霊が入っただけでも、憑依にも自分自身にもどう対処したら良いか判らなくなってしまう人がいるのも知っています。
私は、精神病の主な原因は自分の肉体と精神が幽霊に依って占拠されてしまったと云う認識が患者とその家族に欠けている事だと敢えて言わせて頂きます。もしそう云う知識が世間一般に知れ渡っていたら、人々はもっと違った適切な反応をするでしょう。除霊の仕方を知らなくても、煩い蝿を追い払う様に憑依現象を避ける事ができます。幽霊がこう云う無知な人の前に現れると、幽霊だけではなく周りのもの全てがその人にとって恐怖と化しています。恐れるあまりにその人は、抵抗もせずに心も体も差し出してしまいます。そして、その瞬間から以前とは違った何かを感じ始め、その理由も判らずにもっと怯える様になってしまいます。そうすると、「我々は、自分が最も恐れるものを引き寄せる」の法則に依ってもっと多くの幽霊を引き寄せてしまいます。直ぐにその人達は全てに怯え、恐怖自体に恐怖を抱く様になります。しかしその人達にとって何よりも恐ろしいのは、自分の体験が唯の絵空事であるかもしれないと云う事なのです。その結果、自分は気が違ってしまったと思い込んでしまいます。
そして、「自分の信ずるものは現実化する」の法則に従って本当に気が触れてしまいます。幽霊が憑依しようと狙っている人は、その人の言っている事を信じてあげる事で救われます。“声が聞こえる?それは本当に聞いてるんだよ、想像なんかじゃ無い。君には幽霊の声を聞く事が出来るのだよ。何かが見える?君は気が違ってなんか無いよ、私には見え無いけど君にはそう云う力があるんだろう、きっと霊媒体質なんだろうね”等と言ってあげると良いでしょう。