このウェブサイトでは、ヴァンダ・プランツニツカの著書、「霊に依る憑依〜 21 世紀の除霊」からの引用文が見つかります。
私達が幽霊屋敷を思い浮かべる時、古くて、ボロボロで、怖くて、近くに寄りたくも無いのに住むなんて無理と云う物が頭に浮かぶのではないでしょうか。その様な極端なケースは稀です。発光現象や完全に害の無いものから、非常に深刻なものに至るまで、あらゆる心霊現象があります。人の生活を邪魔するものもあれば、生活自体が全く出来ないものもあります。
そんな現象がどうして発生するのでしょう?原因はある特定のタイプの幽霊にあります。多くの人の人生の目標は金を出来るだけ多く稼ぎ、出来るだけ大きな不動産を手に入れて保持する事です。大きな土地や大きな財産と云うのは勿論、相対的な概念です。一人の人にとっての大きな財産が、他の人には何の価値も無い事があります。この種類の人は、財産を殖やす事以外は何に対しても目を向けて来なかった人です。その人は余りにも自分の財産に執着してしまい、生前も死後もそれを手放せなくなってしまったのです。
そう云う人は全く死ぬ気が無いのですが、死なない人間なんていませんから自分の財産をどうしようかと思うのです。何としてもそれをあの世に持って行きたいところですが、ではどうやって?遺産として誰かに遺す手もありますよね?いいえ、駄目でしょう、その人は財を得ようとがむしゃらに頑張り過ぎてきたのですから。それに、自分の気に入る様な仕方で誰も財産管理をしてくれません。生きている間に自分の事も顧みず、旅行もせず、休日返上で築いた財を只そこに置いて行けますか?絶対に無理でしょう。何と言ってもその人は、魂を売ってその財産を買ったのですから、そんな事をしたら大損になってしまいます。
人は遺産なんて誰にもやりたくないし、それをあの世へ持って行けないと知ると、永久にその持ち物にくっ付いて残ってしまいます。
そんな人は、死の直前に周りからの圧力で資産を親戚に遺贈したとしても必ず取り返します。誰かが老後に住む家を建てる為に殆どの人生を倹約と預金をして暮らしたとします。その人達は建材を購入するのは十分のお金を貯めましたが、建築を手伝う働き手を雇わなかったので、毎日自分たちで建設を続け、それに全ての力を注ぎました。彼等が死ぬまでにこの家は完成しませんでした。この物件に住む様になる時、遺産の受取人又は、この物件の購入者の行く末は大変な事になるでしょう。この人達は煉瓦の一つ一つ、汗の一滴一滴に注がれた建設の執念に非常に高い金額を払わなければいけないのです。其処に住む限り、彼等に安らぎは無いでしょう。其処から引っ越した時だけ、嘗ての自由を取り戻します。その後にこの物件を購入する人は同じ目に遭うでしょう。
この様な家や牧場と云った幽霊物件の住人達は、生きていた頃の前の持ち主を知っている事があります。しかし、そんな事は何も状況を変えません。彼等の生活は生き地獄となるのです。
生前自分の物でなかった家に出現する他のタイプの幽霊もいます。生きている間、富を欲深く追い続け、人を殺める事も辞さなかった幽霊達です。残酷な手を使ってそう云う輩は財産を手に入れるのです。最低な人間の本能に従ったタイプで、こう云うのは死んでも変わりません。彼等は何処までも無慈悲で欲深く、自分の領域を侵す者は遠慮なく殺します。富への欲望がこんな人間を恐ろしい程に強く、冷酷で大胆不敵にするのです。誰も人を寄せ付けない、宝物を守る幽霊も同じ力を持っています。しかし、幽霊物件の全てに隠されたお宝が在ると思うのは止めておきましょう。一人の人に大きな価値のある物が、他の人にとってはゴミの清掃員に渡すチップにも足りない程の価値しか無いのですから。
この様に幽霊は自分の主観的な判断で自分にとって非常に価値がある獲得物を守ります。そしてこれが、その例です。
生前、年老いた女性を喰いものにしていた幽霊がある物件に出没していました。殆どの場合、彼の獲得品は老婆の年金か残された小額のお金でした。何人かの老婆達はそれ程お金に執着が無く、喜んでその男にお金を渡しました。しかし、他の老婆達は、最後まで自分のお金を守り続け、自分の健康と命を含めた全てを失いました。終わりの方では、男はほんの少額の金の為に人を殺めていたのです。幽霊となった今では、その男は如何にも大層なお宝の様に強奪した物を警護しています。男の幽霊は殺人まで犯して、どれだけ苦労してそれを手に入れたかを思い出しています。しかし、その幽霊は自分が手に入れた物に殆ど価値が無い事を知りません。その男の目には素晴らしい宝物なのです。その幽霊が住み着いている家の壁に掛けてある陳腐な絵を取ろうとすれば殺されてしまうでしょう。この家は只の掘建て小屋なのですが、男が老婆達から奪った金額と並ぶ、凄く高価な物を象徴しているのです。この様な幽霊は何も家の中には入れません。入って来たら追い出す為に何でもやるでしょう。死後、他の幽霊に無い様な力を、欲が与えてしまうのです。和解等あり得ず、何を言ってもそんな幽霊を説得なんか出来ません。この様な理由で、何年もの間、買い手も借り手も付かない物件があるのです。価格が下がっても、そんな所に住む人は誰もいないし、幽霊が許さない限り解体も出来ません。
後もう一つ、事故等で突然死をして自分が死んだ事を知らない幽霊の一団がいます。このグループの幽霊達は性格に於いて先に紹介したグループの者達と異なります。こう云う幽霊達は生前と同じ様に生活します。家を出て仕事に行き、夕方になると幽霊として戻ってきます。こんな生活の流れの中で、悲しくも事故が起こりその人達はその場で亡くなったのです。彼等にとってそれは突然で、予測がつかなかった出来事なので理解する事が出来ないのです。
変化が殆ど無いので、その人達は未だ生きているのではないかと思ってしまうのです。彼等は毎日仕事に行き、買い物に出掛け、そして帰宅します。一日何時間かは会社で「働いて」過ごし、そして後は自宅か友達の所で過ごすのです。生前、親、友達、夫や妻、と云った人と暮らしていたら、死後も近しい人の所へ何も無かった様に帰ってきます。映画「シックスセンス」は、突然死して、死んでしまった事に気付かない幽霊に何が起こるのかとても良く教えてくれます。親しい人が突発事故で亡くなった人はこの映画をご覧になる事をお勧めします。事実を誇張する事なく正直に、今お話しした死後の依存の事をこの映画は見事に語っています。
葬式の準備をしている際、故人の幽霊がいる事を感じたり聞いたりする事をその家族は気にもせず、実際そんな事は普通であると思ってしまいます。多くの家族は死後又来てくれて嬉しいとさえ思うのです。彼等がこの現象にどんな意味があり、どんな結末になるかを知っていたら、故人の霊と自分自身が救われる一番良い方法を必ず考えてみるでしょう。どうやったらそんな事が出来るのかと多くの人が尋ねるのではないでしょうか。先ず蝋燭を沢山燃やしましょう、そして死人が出た喪に服す家に見える様に何でもして下さい。昔は、葬式の日まで自宅に死体を保管していたので、故人が棺に納まった自分の遺骸を燃える蝋燭や会葬者と一緒に見る機会があったのです。現在の街中では公衆衛生の問題でこの風習は廃れてしまい、田舎に於いてさえも人々はそれを忌避しています。祈りの日を設ける家庭もありますが、死んだ人にはそれ以上の事をしてあげなくてはなりません。故人に死んでしまった事を告げるのは必要不可欠です。どうやったら、そんな事が出来るのでしょう?名前を呼んで、故人に大きな声で話しかけて下さい。例えば、「ジョニー、貴方はもう生きていません、この日、この時、貴方は車の事故で亡くなりました。
貴方は死にました、光の方へ行って下さい。さあ、怖がらなくて良いの、あの人達が彼方で待っているから。さあ、神は貴方をとても愛していて貴方を待っている、怯えないで。神は貴方の罪を全てお赦しになったから、貴方もそうしなくてはならない。私達も貴方の全てを赦しました。貴方も私達の過ちを赦して下さい」。この言葉は勿論、状況に応じて変えて頂いても構いません。故人に何を言わなければならないか直感で分かると思います。どの位これを続けたら良いのでしょう?死んだ魂が理解して成仏するまで続けて下さい。こうして私達は故人に対してだけではなく、自分への供養もしているのです。自然死でも幽霊が未だいる様に強く感じたら、この儀式をするべきです。こう云った時に死んだ魂との和解も考えた方が良いでしょう。故人が生前自分を傷付けた事、やらなければいけない事をやらなかった事、約束したのに守らなかった事、全部を赦してしまいましょう。それと同時に何かの事情で故人に悪い事をしてしまった自分も赦しましょう。
何かの理由で自分の死に気付かなかった幽霊はまるで何事も無かったかの様に自分の家に住み続けます。葬式後、初めの二〜三日は良い気持ちがするかもしれませんが、後になって問題が起こります。問題になったら、全ては幽霊が生前どんな人であったかに左右されます。もし、その幽霊の性格が身嗜み良く、大人しくて、穏やかだったら、其処にいても物質的な顕現の体験は無いでしょう。そして、そんな所にいると、居心地も悪く、何時も疲労し切っていて、夜訳も無く目覚めますが、その内に慣れてしまいます。その幽霊がだらしなく、人の感情に無頓着だったら、騒がしく周りで音をたて、物を動かして倒し、散らかします。
そんな家は住みにくいだけではなく、人は病気に罹り、やる気が失せ、やっている事に意味が見出せず、はっきりした理由も無いのに誤解が発生します。私達が昼寝をしようという時に限って壁をバンバン叩き始めます。自分が死んだ事に気付いていて、私達と連絡を取ってくる幽霊もいます。そう云う幽霊は自分に注意を向けて欲しいのです。時には、完全に無視をされても何年も延々とこれを続ける事もあります。暫くすると、注意を向けてもらえない幽霊は痺れを切らして凶暴になります。「子供の問題」と云う章で、従姉妹とコミュニケーションが取れないで業を煮やした幽霊が、彼女の息子に憑依して襲いかかった話をしました。幽霊の話を聞いてあげたら、息子は彼女に暴力を振るわなくなりました。
家族全員が死亡して、その家が暫く空き家になっている時は何が起こるのでしょう?殆どの場合、彼等は死んだ事を知らないので直ぐ其処に戻って来ます。又暫くして、新しい住人が入って来ても、これは幽霊には通用しません。それは幽霊にとっても現実と向き合わなければいけない難しい時なのです。それまでは古き良き日々と同じで、幻想の中にも住めたでしょうが、新しい人達はどうなってしまうのでしょう?この人達は何処から来たのだ?これで現実に目覚める幽霊もいますが、非常に多くの幽霊にとっては何も変わりません。私達も驚いてはいけないのです。親愛なる読者の皆さん、貴方は今、生きていると信じて疑っていないでしょうが、どうしてそれを確信出来るのですか?それは自分が見えるし聞こえるし、感じることも出来るからだと貴方は言われるのではないですか?それだけ証拠があれば十分なのでしょう?そうしたら、誰かが突然貴方に貴方はもう生きていないと言ったらどうしますか?誰かとお互いの顔を見詰め合って、大声で笑うかもしれませんね。何と言っても、貴方は完璧に自分が生きている事を知ってらっしゃるのですから。では、自分が生きていると云う確証は何処から来るのでしょう?極少数の人だけがこの問題について真剣に考えます。しかし、貴方は生きている事を分かっているから、それで十分だと思っていられるでしょう。
幽霊にとってもそれは同じなのです。彼等も見えるし、聞こえるし、感じるし、自分の体が見えますから、どんな事をしたら彼等にもう生きてない事を教えてあげられますか?彼等の家に人(新しい住人)が現れると、彼等は怒ります。とても怒って侵入者を追い出す幽霊もいます。それから事情を説明して、出て行ってくれる様お願いしても駄目な場合、仕方無く妥協してしまう幽霊もいます。そこで、新しい住人と古い住人、生きている者と死んでいる者が一つ屋根の下で同居する事になります。こうして、どうにかこうにかやって行ける幽霊物件がある一方で、暮らすのがもっと難しくなってしまう物もあるのです。全ては幽霊が生前自分の所有物に抱いていた気持ちで決まります。気が利いて大らかだった人ならば、誰かが自分の家にいても気にはしません。狡猾で心の狭い幽霊であった場合は、誰にも自分の所有物を使わせる事は無いでしょう。
それから、家の中の幽霊の存在に気付かず、幽霊の方も人間の存在に気が付かないケースもあります。これは、一つの空間の中に並行して二つの時空が存在している様なもので、時おり境界線を超えてお互いが遭遇してしまうと、幽霊は全く私達が思う様に私達を幽霊だと思ってしまいます。映画「アザーズ」の中では、この事が鮮明に描かれています。この映画を観ると多くの人が、自分はもしかしたら死の瞬間を見損なった幽霊なのではないかと疑い始めてしまうと思います。
大勢の人が様々な問題を抱えて私の所へやって来ます ー 病気、 色々な不運、自殺、強盗、そして殺人まであります。私は全てが始まった瞬間、スタート地点を探します。そして、そのスタート地点は大抵、新しいアパートか家に入居した時に繋がっているのです。建物内で一人かそれ以上が亡くなってしまい、新しく入る人達の禍になっている事があります。もし、私達がそれに気付けば問題の修正は易しくなります。
仕事で、私は自分で建てた新築の家に引っ越したのに、先に話した様な状況が起こってしまった数々のケースに遭遇しました。禍の元は複数の幽霊が其処に侵入して来てしまった事である事を私は突き止めました。そして、私のクライアントは言うのです、「プランツニツカさん、この家を建てている時に人は此所に小さな墓場があったって言ってたんですけどね、何せ随分昔の事ですし気にしなかったんですよ」。
居住に適さない土地に家を建てたのが原因で起こる心霊現象の話は沢山あります。現在、家を其処ら中に建てる事が主流となっています。時たま、そんな物件の側を其処が昔何の建物でどういう事が起こった事を知りつつ車で通ると、私は総毛立ってしまいます。其処に住む事になった人達に不幸が降り掛かるのを知っているのですから。大きい小さいに関係無く、建物の建設前にその土地が人が住むのに適しているかを確認する昔の知恵は殆ど廃れてしまいました。地下水脈や構造プレートだけではなく、その土地の歴史も併せて調査すべきです。どんな事情でも建物を建ててはいけない土地は存在するのです。先ず、総ての墓地、そして大きい戦いだけではなくて小さな戦闘があった色々な戦場、大惨事又は、殺人の現場がこれに含まれます。多くの人が家族全員の命を将来奪ってしまう様な危険に全く気付いていない事を発見したので、私はこの問題に注目して頂きたいのです。複数の世帯が住む建物を建設中の大会社もこの問題を見過ごしています。多くの住宅物件は人が住むのに全く適さない土地に建てられています。こんな事をしてしまうのは、無知の所為でしょうか、それとも思いやりの無さか、冷淡な利潤への欲なのでしょうか?最もこれで損をする人達、即ち将来の入居予定者がこの問題にもっと拘れば建設会社は態度を改めるのではないかと云うのが私の意見です。
一人一人の入居者が自分の住むアパートが居住に適した土地に建っているかどうかを調べれば、建設者側は自分のとった近視眼的態度の責任を取らざるを得ないのです。居住に不適切な土地に建つ物件が空き家になってしまえば、問題のある土地に物件を建設する事を考え直さねばならないでしょう。将来の建設予定地を念入りに彼等が調査する様になるのですから、私の子孫の未来も明るくなります。これをきちんと検討しなければ、多くの家族の生活が知られざる理由によって複雑なものになってしまいます。
もし、嘗て墓地、戦場、人質の処刑場、犯罪や大惨事の現場であった土地に建てられた物件に入居してしまったら、自分や自分の近しい人の自殺と云う一番悲惨な人生体験に身を曝す事になるでしょう。新しい家を建てる又は、其処に引っ越しをする時に、これだけは避けなくてはなりません。
アパートでさえも入る時は前のオーナーが其処で死んでいないか、もし、死んでいたらちゃんとあの世へ行ったのか確認する必要があります。家族全体が上手く行っておらず、皆病気になり、言い争いをし、自殺願望を持ち、酒を飲んでいると云う時、そんな人達が救いを求めて何時も私の所にやって来ます。そして、私はその家族を一回、二回そして、もう一回と除霊します。幽霊が動かなかったり、新しいのが現れ続けたりする時は何時でも、一体何が原因なのだろうと自問します。何故、家族全員に幽霊が憑いているのだろう?私は沢山質問をします。そして、満足する答えが見付からなかったら、又何度も質問を続けます。多くのケースに於いて、原因は建物の下を走る水脈か地下断層です。幽霊は其処からエネルギーを補給するので、常に大勢の幽霊が其処に屯しているのです。こんな家では人は数々の病気に罹り、次々と死んで行く事もあります。自殺も頻繁に起こります。アル中が家族間で蔓延し、言い争いや様々な問題がその症状として現れます。
ある男性が自分の母親に助けを求めて現れました。彼の母親はもう直ぐ死ぬと彼は言いました。しかし、私はこの男性にも今直ぐ応急処置が必要な事が見えました。彼は、父親は働きに出て母親は沢山の子供の面倒を見るという非常に貧しい家族の出身でした。父親の稼いだお金は全部家の建設に費やされました。建設終了まで、家族全員が非常に忍耐の要る環境の中、数年に亘って祖父母の家に住み続けました。新築の家に移動している最中に、現在では殆ど大人であるこの男性は州の首都に仕事を見つけ、程なくして結婚しました。しかし、彼は自分の人生だけが上手く行っていると云う事に満足出来ませんでした。彼はそれに罪の意識を抱いていたのです。彼は自分の家族の事を考え続けました。彼の母親は一度に複数の病気に罹ってしまい入院して、後は死を待つだけであったのです。彼が助けを求めて私の所に来たのはその時です。
私は彼のお母さんに憑いていた幽霊を取り除きました、すると彼女の健康はどんどん回復しました。この事で色々と彼も考えて、家族全体を調べてくれと頼んで来ました。私は彼等の家も調べましたが、幽霊がうようよといました。彼にその事を教えてあげると、彼も彼の妻も、そして彼の子供達まで、それが理由でその家に引っ越すのを嫌がっていると云う事を告白しました。彼達はその家で嫌な思いをしたのです。彼の両親と兄妹は、自分達の所に戻って来なければ、彼を勘当すると言い渡していました。小さな物置と廊下の一部分を除いて、彼の両親の家は水脈の発する地放射線で充満していました。その家は水脈の合流地点の上に建っており、其処には地下水で出来た小さな湿地が在りました。入院中に病気の無い生活がどんなものか味わえたのは彼のお母さんにとって幸いでした。彼女は夜、安らかな睡眠を取るのが如何なるものかを垣間見たので、これからもそうやって暮らして行こうと決めました。病気の原因を自分の息子から知らされた彼女は、物置の改装を要求しました。両親はその家の健康な部分に自分達の生活の場を移し、二人共健康を取り戻しました。しかし、その両親の子供達は自分達の家族と一緒に水脈の上に暮らし続けて、暫くの間何も改めようとしませんでした。その上、彼等はこの水脈の問題は紛れもない迷信で、自分達の兄弟が両親にそんな事を吹き込んで惑わしているのだと信じていました。
この多世帯住宅は、大変な努力と献身を以って建てられたのですが、人が住むのに全く適していませんでした。そして、何もその状況を変える事は出来ません。放射線除けも、どんな治療法も役に立ちません。この場所に健康な人間が住める様にする改善方法は何もありません。他の場所に移る以外に打つ手もありません。家族が頑張ってきた事やお金、全部が無駄になってしまったのです。
家を立て直した時、多くの人は安らぎと健康と調和を取り戻します。一番良い対策は、建設の前に土地を調べる事です。家を立て直す事が出来無いで毎晩寝具を水脈から外れた場所に移さなければいけない人が多勢います。ダウジングの名人に助けてもらった人達もいます。残念ながら、無知な人達は常に水脈波の危険に晒されながら暮らしています。建物に充満する強力な地放射線の事を告げると、その人達は答えます、「ええ、プランツニツカさん、私達知っているんです。数年前、ダウジングをやる人が来て同じ事を言っていました。その人が何かを付けて行ってくれたんで、放射線に関しては少なくとも大丈夫なんじゃないかな」。しかし、その人達は、取り付けられた放射線除けは既に使い物にならなくなっていて、おまけに余分な放射線発生の原因になっているかも知れない事に気付いていないのです。残念ですが、放射線除けは住民を病気や不幸から守ってはくれません。ダウジングを始める人達の多くは、真下に水脈のある建物に住んでいます。何処にも解決法が見付からないので、彼等はこの問題から解放してくれる放射線除けを探します。良い品質の物もありますが、そんなに良くない物もあります。しかし、放射線除けは常に有効期限があるのです。ダウジングをやっている人は綺麗さっぱり水脈で起こる問題を片付けてしまいたいので、永続効果がある抗放射線装置を探します。需要は多いので、「永続性放射線除け」と名前の付いた商品が市場に出回ります。しかし、この謳い文句は真実から程遠いと言わねばなりません。抗放射線設備は水を集めるダムの様な物なのです。そして、どんなにそれが大きくて、良い素材で出来ていても、貯水湖は一杯になってしまいます。もっと水を集める為には、貯水湖から放水しなければなりません。しかし、それを何時、何処でやるかを知る事が大切です。幾つもダムを作る事も可能ですが、これも一杯になってしまうでしょう。分かり易い様に、もっと具体的な話をします。