このウェブサイトでは、ヴァンダ・プランツニツカの著書、「霊に依る憑依〜 21 世紀の除霊」からの引用文が見つかります。
しかし、遊びで交霊術を使う人達もいます。暇潰しや夜に仲間とやるには面白いと云う理由です。霊を召喚する交霊会の大勢の犠牲者が私の処にやって来ます。こう云う人達は枯れ草一杯の納屋でマッチに火を点けて遊んでいる事を知りません。遊びを始めても、その遊びが恐ろしい結果を招く事を夢にも思っていないのです。そして、恐ろしい事が起こった時には、「納屋」は焼け落ち、「火傷」を負った人達は長い間(大抵死ぬ迄)、傷の手当てを強いられます。年齢、性別、教育レベルに関係無く、誰にでも起こり得ます。人から聞いた話や映画に刺激されて子供でもこんな遊びをします。テレビ番組が交霊術を紹介する事もあって、私もそう云うのを見た事があります。自分で交霊術を試してしまう視聴者にどんな害が及ぶか私自身知っていますので、それを見た時は恐ろしいなと思いました。そう云う番組の製作者は交霊術の一面だけしか見せません。製作者は視聴者の好奇心を最高潮にまで煽ろうとしているのです。恐らく製作側は件の放送がもたらす結果、即ちそれは真似をする人に降り掛かる不幸を考慮に入れていないのでしょう。私はこう云う放送するのが微妙な題材は取り上げるなと言っているのではありません。こう云う物はもっと賢明なやり方で放送されなければなりません。爆弾の作り方を他人に教えれば、何処で爆発してもおかしくは無いでしょう。
これは決して譬え話なんかではありません。幽霊を呼び寄せた後、まるで稲妻に打たれた様に交霊会の参加者全員が帯電し過ぎて失神してしまった多くのケースを扱った私自身の経験からそれを知っているのです。もしそれが、その段階で済んでいたら期待通りの恐怖体験をしただけですので、その参加者達も満足いくでしょう。しかし大抵は、それだけでは済みません。
或る陸軍部隊では、交霊会を行なった後、小部隊の半数が軍人病院に入院する羽目になりました。その兵士達の何人かは精神病院に移されましたが、あれ以来五年経っていますが未だ療養中です。一方、他の所では宗教の授業中、幽霊に関して質問を受けた牧師がその話題に夢中になり過ぎて生徒に交霊術を教えてしまいました。この「遊び」の結末は兵士達に起こったのと似た様なものでした。その子供達は随分前に成長してしまいましたが、その影響は今でも続いています。
幽霊を遊びで呼び出す様な人は、幽霊に必要な安らぎなんぞ知った事では無いでしょうから、大事に扱ってあげるなんて事はあり得ないでしょう。ですから、幽霊は唯娯楽を捜している人間よりも、霊媒師の方に違った接し方をするのです。人が幽霊を犠牲にして遊べば、幽霊も人に危害を加えます。そして、此処で話しているのは小さなお仕置きではなくて、人の一生を通じて残るような深刻な結末です。私は誰かを脅かす為にこれを書いているのではなく、この遊びの深遠な側面の知識の欠如が原因で起こる結果を知ってもらいたいのです。私の元に助けを求めて来る人の数から推定して交霊会の時に自分が何をしたら良いのか分からなくて被害に遭った犠牲者は可成りの数に上ります。この様な実験の結果はこの遊びの参加者の年齢に関係なく悲惨です。
とても幼い子供達の親が私の所に来ています。このお遊びの結末はしばしば入院である事もあり、精神病院の場合さえあります。どういう結末を迎えるかは、どんな幽霊が子供に憑くかに大きく左右されます。もし、薬物中毒者の幽霊に憑依されれば、子供は突然薬物に興味を持ち始めるでしょう。固い決心を持って努力しても、子供を薬物の習慣から解き放つのは難しい事です。此所で私は、どの様な兆候が子供に現れる可能性があるのか分析するつもりはありません。盗みをし出す、今迄言った事の無い様な汚い言葉を吐く、喧嘩をする、酒を飲む、ナイフを手に持って親を殺そうとする、急病にかかる、全てに怯え出す、話す時に吃る、アレルギーになる等、これだけ言ってしまえば充分なのではないでしょうか。子供に現れる全部の急な異変が憑依の兆候です。同じ事は、大人にも当て嵌まります。
大人は交霊術で遊んでも平気だと思わないで下さい。幽霊は即、人に憑く事は無いとしても、交霊会を催した家に留まります。そうすると何の疑いも無い家族の誰かが取り憑かれるかも知れないのです。
それは少し煙草に似ています ー 自分が吸わなくても、間接喫煙 をしている。一回だけ交霊術を使っただけで取り憑かれる人もいれば、何回やっても霊が降りて来ない人もいます。何回か交霊会を催してやっと自分や仲間の中の誰かに何か悪い事が起こり始めているのに人は気付きます。そうすると或る人は助けを求め、そして或る人は霊が自然に何処かに行ってくれるのではないかと云う希望で自分をはぐらかしてしまいます。しかし、霊が自分で何処かに行ってしまうと云う事は滅多に起こりません。最初の内は、もし幽霊が自分に合った性格をしていたら来ても殆ど気が付かないでしょう。しかし、一旦連絡路が開いてしまうと、扱い切れない程の多数の幽霊が入り込んで来る事もあります。それは、草原にいる一匹のスズメバチに似ています。一匹のみなら刺される心配はまず無いでしょう。しかし、巣から同じ一匹を取り出せば、只では済みません。その上、巣全体の蜂が激怒して収集のつかない事態となるでしょう。逃げる事も出来ず、蜂は私達を一挙に襲います。
幽霊に話を戻しますが、人は死ぬと突然、生きた人間には見えない将来に起こり得る事象が見通せる様になると云う考えは余り信用しない方が良いでしょう。「あの世からは全部が見渡せる」ので、幽霊はなんでも知っていると云うのは真実ではありません。
もし、そう思っていらっしゃったら、貴方は考え違いをしています。死後、人は何も変わりません。同じ長所と欠点、同じ恐怖と感情、同じ乏しい知識と無知を持った儘、人は変わりません。そしてここでは、夫々の幽霊の持つ凶悪性や悪戯でする霊示は考慮に入っていません。幽霊は人の純真さを弄びます。